幸せな家庭内別居への歩み

薬の専門家・薬剤師が心と感情の専門家・カウンセラー/リーダー/ヒーラーになった経緯を夫婦関係の変化とあわせてご紹介します。

夫との出会いと理想の家庭

昭和39年辰年、大阪市で生まれた60代。
現在は大阪と地方の二拠点生活を送っています。

家族は夫と成人した子ども一男二女、猫一匹。
超高齢の義母と両親が程よい距離のところにいます。

夫とは、趣味友だちであった亡き義父に紹介されたのがきっかけでつき合い始め、結婚にいたりました。
実は、紹介される前に廊下ですれ違った瞬間に「この人だ」と直感したのを今でも覚えています。

当時の私は、良妻賢母こそが幸せの道だと思っていました。
義実家との関係も良好で、夫婦ともに医療従事者として経済的に安定した生活を送り、2人の子どもにも恵まれました。
外から見れば、幸せな家庭を築いているように見えたことでしょう。
もちろん夫婦喧嘩はありましたが、順調に人生を歩んでいると感じていました。

予期せぬ試練と家族の危機

順調だった生活が揺らぎ始めたのは、3人目の子どもを授かってからでした。
妊娠初期から出産まで、私は安静を強いられ、ほとんど動けない状態が続きました。毎日、生きるか死ぬかを考えていました。
その時、私は夫が私を労わり、支えてくれるだろうと信じていました。

しかし、現実は違いました。

夫は家で寝ている私の姿を見ると不機嫌になり、苦虫を噛み潰したような顔をしました。
会話は減り、増えていったのは言い争いばかり。
しまいには、子どもたちと私を置いて義母と旅行に行くと言い出す始末です。

振り返ってみると、夫自身も仕事や生活の悩みを抱えていたのかもしれません。
彼なりに幸せが揺らぎ、感情の渦に巻き込まれていたのでしょう。

こうして、幸せだった家庭が次第に争いの絶えない場所へと変わっていきました。

時には、私自身も感情に飲まれ、包丁を握りしめました。
つらさや怒り、悲しみが果てしなく続くように感じられ、普通にしているつもりでも子どもたちには伝わっていました。
後に子どもから「あの頃のお母さんは本当に怖い顔をしていた」と言われたことがあります。

自己探求と心の癒し

3人目が乳離れし、40歳になった時、これから何か熱中できるものがないと生きていけないと切実に思い、「何か」を探して自己探求を始めました。

スピリチュアルから自己啓発まで、目につくもの、興味を引くものは何でもやってみました。
最終的に現在提供しているサービス、「感情を扱うカウンセリング」「情報を読み取るリーディング」「幼少期の心の傷インナーチャイルドを解消するヒーリング」にたどり着いたのです。

その中で学んだのは、相手を変えようとしても苦しみは解決しないということでした。

一番の早道は、自分の心の傷や感情を解消し、自分の本音に気づき、自己成長していくことです。

不思議なことに、自分の内面に向き合うほど、問題が問題でなくなり、自然と夫婦関係が変化してきます。

離婚届に判子を押そうとしたことや包丁を握りしめた日のことは遠い昔の笑い話となりました。

今は「幸せな家庭内別居」というとても楽な夫婦関係になっています。

幸せな家庭内別居は、相手を1人の人として尊重し、しかも自分も大切にできるスタイルです。
喧嘩になっても、夫婦間のしこりにならない、いつもハッピーな関係性です。

大阪と地方の二拠点生活もその一環として楽しんでいます。

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